気軽に台湾、奥深き台湾、ありがとう台湾 

 

沖縄に住んでいた私にとって、おとなり台湾への移動は気楽なものだった。当時、内地にでる方が、長い旅に感じられ、多少、こころ気張っての移動に感じた。そして、たくさんの同じように見える画一的な人の波に、すごく酔った。断っておくけれども、私は東京で生まれ東京で育ち、いまは東京で働いている(ただ、外に出ると東京の異様さは、世界のなかでも群を抜いていることに気づく)。対して台湾は、隣の島にふらっと出かける感覚で、言葉は違うけれど、雰囲気もどこか沖縄と似ている、ストレスを感じることがなかった。ここでは、みじかい沖縄生活の間に、繰り返し訪れることになった台湾でのフィールドワークの記憶を振り返る。

 

1回目の渡航は、T先生と、当時、西表島で調査を行なっていたS君の台湾調査に同行したときのことだった。S君が調査していたキシノウエトカゲとイシガキトカゲの姉妹種が台湾におり、それを含めたトカゲ類のサンプリング(系統分類学、集団遺伝学や行動学的データの採集のために)が目的だった。まわりから話聞く台湾の評判はすこぶる良く、またT先生から、台湾のカナヘビはすごく綺麗だよ、と教えてもらったことがダメ押しとなっての参加だった。たしかに図鑑などで調べる限り、台湾には、たくさんのカナヘビがおり、オスが求愛のために鮮やかな体色を発色するものから、標高3000メートルを超える高地に生息するものまで様々な種がいるらしい。とりあえず、採集可能な種を数個体ずつ、日本に持ち帰って分光解析でもしてみよう(私の専門の動物の体色の解析を、かっこよく言うときに使う言葉)。漠然と研究計画を考え、図鑑を眺めつつ、荷物をパッキングしていた。その時は、この先、カナヘビの研究にどっぷり浸かるなんて想像などしていなかった。

 

こじんまりした那覇国際空港(いまはアジア各国からのインバウンド効果ですごく立派になった)から、台湾の桃園国際空港へと飛び立つ。那覇よりやや涼しい?と思いつつ、また初台湾上陸の感動もどこに、すぐに台北を経由して、北部の基隆市へ向かう、T先生が基隆で、むかし、トカゲを見た記憶があったような…という若干怪しい記憶を頼りに。まずは、バスに揺られつつ、車窓にそれらしいハビタットが現れるのを待つ。そして目的のトカゲがいそうな景色が現れると、バスを降り、あたりを軽く散策する。なんとなく、いけそうな匂いがしたので、付近で宿を探す(台湾での宿探しはわりと簡単で、酒店や飯店などの看板を探せば良い)(目的の動物がいそうな雰囲気をキャッチしたり、良さそうな宿やレストランを見極めたりする鼻や目は、フィールドワーカーの必須の能力だが、意外にも、こうした目や鼻をもっている研究者は少ない)。部屋に荷物を置いて、T先生とS君はトカゲ(Plestiodon)探しに、私はカナヘビ探しをすることにした。図鑑によれば、もしカナヘビがいるのであれば、Takydromus viridipunctatus  (下写真) がいるはずだ。はじめての台湾フィールド、最上級の敬意をはらって、当時、最も探すのが、そして採取するのが難しかったミヤコカナヘビ(宮古島での話はまた別の機会に)や十島村のニホンカナヘビ(これもまたの機会に)を採集していたときのごとく、双眼鏡や釣竿など、フル装備を準備する。双眼鏡は、相当、警戒心の強いカナヘビを遠くから探索するために、釣竿は、絶対に逃せない貴重な個体を遠くから採集者(私)のほうにおびきよせるために。バックパックから道具を取り出し、ごそごそと。

 

あれ?見間違いか?目の前でもごそごそと。

 

釣り針にミールワームをつけていると、1メートル先に、見たことのあるシルエットの動物が地面を歩いている。もう、手掴みできる距離で。それどころか、そこら中に、カナヘビいるじゃないですか?あら、T. viridipunctatusは雑カナヘビ?

 

作戦変更し、双眼鏡と釣竿をバックパックにしまい、リラックスモードに。日本で雑カナヘビ(簡単に見つかるやつを“雑〜”と呼ぶ。私の研究対象だったイモリなどは、他の研究者からよく雑種と呼ばれていた)を探すときのように、イネ科植物などの草本類が密集しているあたりを覗き込む。見つけてもすぐに採集せずに、まずは、彼らがどんなハビタットを利用しているのか、観察する。う〜ん、みたところニホンカナヘビとほぼ一緒かな?オトナは、腰丈ほどの、少し高い草本あたりで活動して、小さいコドモが地面をよく利用している模様。オスがメスよりも鮮やかだと聞いていたけれど、オトナメスも、体の側面は、光沢ある黄緑色を発色していそうな感じだ。やや気温が涼しいせいか、日が差しこむと、そこらでバスキング(日光浴)しにカナヘビが現れる。フィールドノートにそんなことをメモしつつ、彼らの特徴をつかんだところで採集開始。色の分光解析にむいた、ある程度、成長したオトナ個体を数匹ほど採集、すぐに終了、T先生やS君と合流することに。その夜は、台湾ビールにはじめての檳榔。吸血鬼のように口の中を真っ赤にしつつ、熟睡。

 

トカゲ組もなかなかの戦果だったようで、翌日は、台北経由で、時計回り電車で花蓮へ移動することにした。台湾の電車で2つの面白い習慣を見つけた。1つ目が、日本の駅弁のごとく、乗客が駅でおでんを購入することだ。八角で煮込んだ煮卵など、相当な匂いだ。日本で最近問題になっている“XXXの肉まん“なんて比ではない。2つ目が“無座”だ。日本と一緒で、電車には予約席や自由席があるのだけれど、自由席のチケットしか購入していなくても、空席であれば、予約席に座って良いらしい。もちろん、本来その席を予約している乗客が来ると席を譲らなければいけない。空いている席を有効活用するエコなルールだ。このルールの最大の面白さは、予約席の車両に、かなり無座の客が紛れ込んでいること。そもそも自由席チケットしか持っていない人は、本来の予約者が来たらすぐに席を譲らないといけない。ただ、誰も本当の予約者かを確認しない(チケットを見せてなんて言わないし、言えない)。すると、どうなるか。予約客っぽい眼差しで、自分の自由席チケットと座席の番号を交互に見比べていると、座席を譲られるのだ(そこに座っていた客が無座の人であればだが)。花蓮は、台北ほどではないけれど、大きな街で、ここで人生初めての魯肉飯(ルーロンファン)を食した。八角などの強い香辛料で、素性を隠した何かがご飯にのっかっているシンプルな料理なのだが、えらく感激した記憶がある(最近は日本でも高級な魯肉飯が食べられる)。あとは、途中の町で入った恐怖の蘇澳冷泉の記憶が強い。痛かった〜、ああ、痛かった〜(人類の半数は共有できます)。ただ、それくらいだ。トカゲもカナヘビの気配を感じられない。電車と徒歩で調査を計画していた私たちにとって、ここは難しい街だった。

 

翌日は、気を取り直して、花蓮から日帰り(バス)で少し南側へ行くことに。目的地は、T先生が、むかし、この辺りでトカゲを見たかも?シリーズ第2弾。ここでもトカゲ組とカナヘビ組に分かれるも、帰りのバスの時間もあるので、調査予定時間は2〜3時間と余裕がなく、とりあえず見つければ採集することにした。ここらにいたT. luyeanusは、T. viridipunctatusに比べるとやや地味目。それでもオスの方が若干、鮮やかな黄色を体側に発色している。そこまでハビタットを細かく見ていなかったのだけれど、地面での生活傾向がつよいかなあ、といったところだ。消化不良気味で花蓮へ戻り、夕食をとる。檳榔をハミハミしながら、ビールを飲みゆったりと。そのとき、

 

バタバタバタバタ!!!

 

部屋の中を、恐ろしい勢いで縦横無尽に走る黒い影が。その影は1つではない!台湾に来てから探し続けていたアイツ(トカゲ)だ!一瞬、なぜ、トカゲがホテルの部屋を走り回っているのか理解できず。しかも、相手は、かなり速い。台湾に来てから、ずっと、トカゲやカナヘビを探し回っていたので、幻覚でも見ているのか?と考える。檳榔効果にしては強すぎだ!?、と考える。探索像(行動学の教科書に、よく出ている言葉)を頭に作りすぎたか?と考える(フィールドあるある)。頭がいかれたか?と考える。しかし、数秒後、頭の中が整理できなくても、トカゲを反射的に捕まえだす。

ことの顛末を簡単に解説。普段、トカゲをストレスなく持ち運ぶために、100円均一で大きめタッパーを購入してフィールドにもっていく。1日一回、餌やり、掃除、飲み水の入換えを、ホテルでおこなっていた。ただし、今回のフィールドワークでは、想定以上に、トカゲが採集できたため、お金をケチって、3段式の引き出しケースを現地の100円均一らしき店で購入。① 僕らは、トカゲマンションと呼んでいた。②細心の注意をもって1階の住人に餌をあげる。③細心の注意をもって2階の住人に餌をあげる。しかし、その時、1階の住人はいとも簡単に逃げ出せることに気づいていなかった。もちろん、脱走くん”たち”は回収しましたが。T先生にS君が怒られる、いや、注意される。購入したのは僕だったのだけれど、トカゲマンションと名づけたのも僕だけど。チームには、それぞれ役回りがあるのです。

 

ここまで書き進めながら、この台湾フィールド記、話の落としどころ(ポイント)を、どうするか迷ってきてしまった。台湾でも、いろいろおイタしたし、人生で数少ないモテキも味わった。何より、思いがけない貴重なカナヘビが、偶然、どこからか目の前に落ちてくる奇跡のような経験もした。台湾人の学生の運転するバイクに2ケツして、車に直撃した。脇見運転していた学生は無傷で、僕は相当、痛い思いをした。フィールド着は、ボロボロになった。3000mの高山に水着(ラッシュガード)で調査をしに出かけ、寒さで危うい目にあった。台湾は、本当にイベントが多すぎた。この台湾フィールドで一番驚いたことはなんだったんだろう?どうやって、このノートを閉じるべきか。自分自身で、落ち(ポイント)の敷居をあげすぎているのではと、書きながら思ってきた。仕方ない、最後は、台湾で一番美味しいレストランについて書いて終わらせようと思う。今後、台湾に旅行にいくかもしれない人に、最高の情報を。

 

 


左から、森林限界に近い標高の台湾中央山脈、そこに生息するカナヘビ(T. hsuehshanensis)、調査を手伝ってくれた台湾の大学院生と寒そうな私。

 

 

台湾には、台東から少し離れたところに知本という町がある。そこから山側に入っていくと、知本温泉というリゾート地がある。川沿いに、温泉街が広がり、終点に国立公園のようなものがある。私たちは、台東を経由して知本まで電車で、そこからバス(タクシーだったかも、記憶が曖昧)に乗って、温泉に移動した。まずは宿探しをするのだけれど、一様、リゾート地、なんだか高そう。安宿を探して歩いていると、終着地点の国立公園へ。その脇、山側に登っていったところに、良さそうな宿を発見。この頃になると、カナヘビ探し(採集)は夜間の寝込みを襲うようになっていたので(行動や生態の観察は日中に)、とりあえず休憩することに。腹が減った。安宿には、ご飯を食べるところなんてないので、脇道からメインストリートまで降りていく。と、目の前にレストランが。良さそうな雰囲気。良い匂い。新しくはないものの、机などが綺麗で、ゴミなどは落ちていない。メニューも台湾東系統のもの。入り口付近に、ビールをたくさん詰め込んだガラス扉の冷蔵庫。これは当たりだと、とりあえず冷蔵庫から勝手にビールを抜きとって着席する。

 

 

台湾レストラン事情1(勝手な個人的経験から):旅行ガイドブックに書いてある台湾料理(小籠包など)は、台北や台中、高雄などでよく見る気がする。ちなみに台中は、No.1グルマンの街。一方、日本人にはそこまで有名な観光地がない東部では、小籠包とかを見かけたことがない。東側の料理は、特に辛くもなく、普通に美味しい。味も濃すぎない。台湾は、もともと住んでいた部族のながれと、何回かに分けて、大陸から移住した人々のながれがあるみたいだった。小籠包などは、最近(?)、大陸から移住してきた人々の文化で、西側のもの、昔から台湾にいた人々の多い、東側の食卓のメニューにはなさそう。知本温泉は、リゾート地であるがゆえに、台湾西側の料理を出す店もあった。

 

台湾レストラン事情2(勝手な個人的経験から):台湾のレストランで、勝手に冷蔵庫からビールを抜きとっても問題はない、と思う。地元の人もしているから。だけど、きちんとした格好の方々はしていない。もちろん、飲み終わったら瓶は机の上に置いておく。自己申告しなくても、料金はきっちり請求される。今回、話題にするレストランでも問題なかった。この冷蔵庫から勝手にビールを取ってくるルールが、なんだか自宅でご飯を食べている安らぎ気分を与えてくれる。売店などのビールがぬるいこともあり、私は、ご飯を食べなくても、レストランの冷蔵庫からビールをよく抜きとっていた(お金は払う)。

 

 

机に座ると、若い店員さんが、オーダーを取りに来る。筆談と指差しで注文をする。3人で食べるには注文しすぎた感じもあるが、ぺろりと平らげる。やはり、当たりだった!流行っているらしく、先ほどの店員さんが、店の中をいったりきたりと、大忙し。時々、厨房の中でも作業をしている。その光景をいまでもはっきり覚えている理由は、店員の家族(父、母、弟)らしき人々が、ほぼ働かず、テレビを見入っていたのが印象的だったからだ。店がすいている時は、同席して歓談し、どうしようもなく忙しいと、時々、両親らしき人が注文をとったりする。違うタイミングで、お店に入っても、そのメンバー(家族?)は、いつもいるので、多分、家族で間違いない。なんだか、世界共通のあの話、働きもののオシンやシンデレラを連想してしまう、店員さんも女性だったので。私たちは、宿からの近さ、ご飯の美味しさ、その店員さんを応援する意味合いも込めて、知本温泉に滞在中は、ほぼ、そこでご飯をとった。応援のしすぎで(調査前のビールの飲み過ぎで)、一度、フィールド中にダウンしたこともあった。とにもかくにも、皆さんには、このレストランをお勧めしたい。Googleのストリートビューで(2021年)、いまでもお店が開いていることを確認した(店の名前は猴區廚房という名前だったらしい)。知本温泉、国立公園少し手前の川側にある。ただ、あのとき応援していたオシンもシンデレラも、いまはいない。初めてのフィールドワークから、1、2年の間に、何度か知本温泉を訪れている。その間に、知本温泉は、大きな災害にも見舞われた。

 

 

 

ブラックジョークが過ぎました、東日本大震災を被災した身としても良くなかった(反省)。あの時、見かけた店員さんは、いまでも店にいると思う。ただし、ブランド物のバックを小脇に抱えながら、おそらく、マネージャーとして。海外から働きにやってきた店員さんを雇用する立場として(儲かってますね!)。やっぱり、僕らの舌は間違っていなかった。震災なんて、なんのその。僕の愛する安宿も、温水プールを増設していた。みんなすごいね!台湾最高!

 

 

持田浩治

 

長崎総合科学大学

総合情報学部

生命環境工学コース

准教授 

〒851-0193

長崎市網場町536

 

京都大学

野生動物研究センター

特任准教授

〒606-8203

京都市左京区田中関田町

2-24 関田南研究棟

 

 

mail:MOCHIDA_Koji (A)NiAS.ac.jp